聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「なんと、あなたがたは、役にも立たない偽りのことばにたよっている。」 (エレミヤ7:8) 今日のエレミヤ書7章から10章までは、エレミヤがエルサレム神殿で語った、ユダとその都エルサレムに対する神様の裁きの宣告です。26章はおそらくは、この時のことを別の角度から語ったもので、そこからしますと、エレミヤがこれらの言葉を語ったのはヨシヤ王の死後、まだ間もない頃であったと考えられます。 ヨシヤ王は、南ユダ王国の信仰を復興させるべく力を尽くしましたが、その死後、後を継いだ王たちは、偶像礼拝に戻り、せっかくのヨシヤ王の努力を台なしにしてしまいます。また、ヨシヤ王のすぐ後を継いだエホアハズという王様はエジプトによって退けられ、別の者が王にさせられましたが、そういう国の独立が失われて行く危機的な状況の中でこの言葉がエレミヤによって、語られたわけです。 この時代、南ユダ王国の置かれていた状況は、政治的にも、軍事的にも大変厳しいものでした。かつてヒゼキヤ王の時代にぎりぎりの所に追い詰められていたエルサレムが神様の不思議な力のおかげでアッシリヤの攻撃から守られたことがありましたが、偽預言者たちはその出来事を引き合いに出して、主の神殿があるので、エルサレムの町は滅ぼされてしまうことはないと預言し、人々はそういう偽預言者の言葉にすがっていました。エレミヤはその、人々が頼りにしていた偽預言者の言葉を真っ向から否定する言葉を神様から託され、正にその神殿で語ったわけです。 エレミヤは具体的に神様に従うことぬきに、いくら神殿礼拝に励んでも意味がない。神殿礼拝に励むことで、罪が罪でなくなるわけではない、と厳しく人々を責める言葉を、神様から託されて語るわけです。 私たちも、神様の御心に反する行いを平気で続けながら、形の上だけの信仰生活を守り、それで自分をよしとしてしまっているようなことはないでしょうか。あらゆる偶像礼拝から離れ、悔い改めて、イエス・キリストによる罪の赦しと聖霊様による真の平安に与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |