聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「あなたがたは、わたしを恐れないのか。」 (エレミヤ5:22) 今日のエレミヤ書5章では、ユダの人々の罪が指摘され、その罪ゆえにユダの国の上に下る裁きが預言されています。 1節から2節では、エルサレムの人々の殆どは、信仰的な言葉使いをするけれども、実際には、神様を無視し、神様の御心に沿う生活をしようなどとはしていないことが指摘されています。私たちの信仰も、言葉の上だけのもの、教会にいる時だけの上辺だけのものになってしまっているようなことはないでしょうか。 3節から5節では、身分の低い者だけではなく、信仰深いはずの指導者たちも全くの不信仰に陥ってしまっていることが指摘されています。さらに、26節以降では、その指導者たちの罪こそが神様の裁きを招く直接の原因であることが指摘されています。指導者の責任はそれだけ重いものであるわけですが、しかし、31節の3行目にあるように、その偽りに満ちた指導者に従う民の側にも、偽預言者の語る、悔い改めを求めない、安易な平安の約束を喜び、神様の定めよりも自分たちの都合を優先してくれる祭司のやり方をよしとしている、という意味ではやはり責任があるということが言われています。私たちも牧師や役員のために祈ると同時に、共に責任を負う者として共に御言葉に聞き、御心に反する方向に自分たちの群れが行ってしまうことのないように、心を砕き、関わって行く必要があるのです。さもなければ、指導者たちの罪ゆえに、20節から25節、特に21節で語られているように、自分たち自身が霊的に盲目な者となってしまい、12節から13節で述べられているように、正しく主の御言葉を語る者を自分たちの気に入らないからということで退け、結局、自らに滅びを招くことになってしまうのです。畏れつつ、かつ謙遜に、キリストのからだなる教会を御心に沿って立て上げて行く業に共に与からせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |