聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「イスラエルよ。もし帰るのなら、─主の御告げ。─わたしのところに帰って来い。」 (エレミヤ4:1) 今日のエレミヤ書4章では、神様のユダの人々に対する悔い改めへの招きの言葉がまず語られ、その後、来るべき裁きの時の様子が預言されています。 まず1節では、悔い改めるならば、真の神様である、主の所に帰って来るように、ということが言われています。何かの機会に自分は間違っていたと痛感する時があっても、そこで、主に帰ることがなければ、私たちはまた別の過ちを繰り返すだけになってしまいます。まして、神様以外のものに慰めを求めたり、神様以外の、こうすればいいのではないかという自分の考え出した方法に解決を求めることは、その時その場ではうまく行ったように見えたとしても、結局、私たちを更に深い問題に引っ張り込んで行ってしまうだけです。悔い改め、主に立ち返らせていただきましょう。 3節から4節のたとえは、自分の霊的な状態をなおざりにしたままで、ただ目の前の問題の解決を求めても仕方がない、ということを語っています。いばらを取り除き、土地を耕すことが、すなわち罪を取り除き、霊的に整えられることが、神様の祝福を自分のものとして経験するためには必要なのです。 5節以降は南ユダ王国に下される裁きの預言です。しかし、南ユダ王国にもたらされた裁きとその徹底した荒廃は、23節から28節で示唆されているように、やがて全世界に下される裁きの前触れでしかないのです。私たちも自分もまたそのような神様の裁きの対象であったことを覚え、主を恐れると同時にその裁きから免れさせて下さったキリストの十字架を覚え、感謝を忘れることのない者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |