聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。」
(エレミヤ3:22)

今日のエレミヤ書3章では、神様とイスラエルの民との関係が夫と妻の関係にたとえられています。
前半の13節まででは、イスラエルの民の不真実さが厳しく指摘されています。1節から5節では、偶像礼拝にひたりながら、困難に直面し、どうしようもなくなると、神様に助けを求めることが如何に厚かましい振る舞いであるか、ということが語られ、6節では、それ以降の預言がヨシヤ王の時代に神様が語られた言葉である、ということが言われています。
ヨシヤ王の時代には、確かにヨシヤ王のリーダーシップの元に、主の宮が修復され、偶像が取り除かれましたが、多くの人々の霊的な状態はほとんどそのままであったということが、以降の預言の内容からわかります。どんなに熱心な信仰の働きが進められていようと、それに漠然と参加するだけでは、大事な所で変わることはできません。私たち自身が神様の前に一人立ち、悔い改め、信仰の決断をすることこそがカギなのです。
6節以降でのイスラエルとはエレミヤの時代には既に滅ぼされてしまっていた北イスラエル王国とその10部族のことを、ユダとは、この時点ではまだ存続していた南ユダ王国のことを指しています。11節では北イスラエルの滅亡という警告となる身近な出来事があるにもかかわらず、南ユダ王国がなお悔い改めようとしない、それだけ南ユダ王国の人々の頑なさが深いものであることが指摘されているようです。
12節、14節、22節で述べられているように、そういう不真実な、汚れた、頑ななイスラエルの民に神様はなお、帰って来るようにと招いて下さっているのです。私たちは、そのような主の招きに応え、頑なさを捨て、また、自分で自分を見限ってしまわず、主の元に立ち返らせていただきましょう。

 中谷建晴



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