聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦々しいことかを。」 (エレミヤ2:19)

今日のエレミヤ書2章では、イスラエルの人々が自分たちを生み出し、いつくしみ、育てて来て下さった神様を捨て去り、偶像に走ったことが責められています。
1節から7節では、出エジプトを中心に、イスラエルの初期の歴史において、神様が如何に、イスラエルの民に恵み深いお方であったか、それを忘れ去ることがいかに不当なことか、ということが語られています。
8節では祭司のような立場にある者でさえ、神様に対して無関心であることが指摘されています。
10節のキティムは今のキプロス島にある港町、ケダルはアラビアの砂漠に住む遊牧民族の名前です。そういう真の神様を全く知らない人々から見ても、イスラエルの人々が神様を捨てることは全く理に叶わない、おかしなことである、ということが、10節から13節まででは語られています。
16節のノフはかつてエジプトの都だったこともあるナイル川下流の町、タフパヌヘスはエジプトの中でもシナイ半島に近い所にある軍事要塞都市の名前です。それらが頭の頂をそりあげるとは、南ユダにとって信仰に篤い王としては最後の王になるヨシヤ王がエジプトとの戦いで戦死した、第二列王記23章29節の出来事を示唆しているようです。
18節では、イスラエルの民が、神様に頼るのではなく、エジプトやアッシリヤとの政治的駆け引きで自分の国を救おうとしたことが指摘されていますが、それ以降でもずっと指摘されているように、イスラエルの民はそのような不当で、不合理で、結局自分たちを破滅させてしまう神様以外のものに頼る生き方へと、偶像礼拝へと止め様もない勢いで傾いて行ってしまったわけです。
私たちもこんなことをしていても駄目だ、こんなことをしているのはおかしい、このままではただ滅びてしまうだけだとわかっていても、そういう生き方しかできない者ではなかったでしょうか。そういう所から神様の恵みにより救われ、天国に続く道を歩む者とされたことをもう一度思い出し、感謝の思いを新たにさせていただきましょう。

中谷建晴




Copyright© Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.