聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     エレミヤ書 52章

「エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。」
      (エレミヤ書 52:3)

 前章の終わりに「ここまでが、エレミヤのことばである。」と記されていましたから、この章は後の時代にエレミヤ書を編集した人が付け加えた付録なのでしょうか。エルサレムの滅亡とゼデキヤの処罰、主の宮の器物のバビロン接収、民のバビロン捕囚の記録です。すべてエレミヤの預言どおりではないかと読者に迫り、主のみことばを軽んじることのないように訴え、みことばを信じるように勧めるメッセージです。この事件は、主の民イスラエルにとっては受け入れがたい厳しい出来事でしたが、そうなったのは彼らの罪ゆえの主の怒りによることでした。最後の王ゼデキヤについて、「彼は、すべてエホヤキムがしたように主の目の前に悪を行った。」と記されています。“彼らは代々、主を信ぜず、偶像に心を向け、悪の道に走ってきたから、主は怒り、彼らをさばかれた”のです。「エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。」と言われるとおりです。しかし、この著者は、最後に、ゼデキヤに先立ってバビロンに連れ去られていた前の王エホヤキンが、捕囚の37年目に、バビロンで厚遇されるようになったことを語って、やがて訪れるバビロン捕囚からの解放のしるしを見せてくれます。主は、主の民がどういうことになっても、なお彼らを見捨てず、彼らを救いに導こうとしてくださっているのです。「今、私は、主のみ許に帰ります。憐れんでください。」と祈ります。

                          唄野隆



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