聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エレミヤ書 51章 「しかし、イスラエルもユダも、その神、万軍の主から、決して見捨てられない。」 (エレミヤ書 51:5) この章もバビロンにたいするさばきの預言です。バビロンは主のさばきの道具として用いられ、諸国の民を打ち倒しましたが、特に主の民イスラエルの不信の罪をさばくために用いられました。しかし、バビロンは自分の力で世界を征服したのだと思い上がりました。それで主はその高慢のゆえにバビロンを滅ぼすと宣告されました。しかし、バビロンにたいするさばきの直接の理由は、彼らが主の民を残酷に取り扱ったからで、バビロンに対するさばきは主の復讐だと言われました。そのとき彼らが神とした偶像も共に滅ぼされます。バビロンの主にたいする姿勢が彼らの運命を決定したのです。私たちは、見える世界しか見ませんが、主は、見えない主とのかかわりを見られます。イスラエルもユダも主の民として選ばれた者たちでしたが、主は、バビロンが滅ぼされるとき、そこに留められていた主の民の残りの者を顧み、彼らに、「バビロンの中から逃げ、それぞれ自分のいのちを救え。」と言われました。主が彼らをご自分の大事な民と見ておられたからです。ですから、「イスラエルもユダも、その神、万軍の主から、決して見捨てられない。」と言われたのです。彼らは罪にまみれていましたが、主はなおも彼らを愛されました。彼らの罪を容認されたのではなく、彼らを救いきよめて主の民にふさわしく育ててくださるためでした。私たちも同じです。罪人のまま主の贖いによって救われ、主の血潮によってきよめられ、主の聖徒とされていくのです。感謝です。 唄野隆 |