聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     エレミヤ書 50章

「わたしが残す者の罪を、わたしが赦すからだ。」
      (エレミヤ書 50:20)

 46章から続いた、エレミヤによる、ユダを巡る諸国民にたいするさばきの預言は、最後にバビロンに及び、バビロンのさばきが告げられます。バビロンはユダの罪にたいする主のさばきに用いられ、ユダを滅ぼしました。バビロンは、主のさばきに用いられたのですが、自分の力によってユダを滅ぼすのだと思い上がり、高慢になり、ユダを残酷に取り扱ったから、主は、バビロンをさばき、バビロンは北から一つの国に攻められ、滅ぼされる、と宣告されました。“バビロンは「わたしの相続地を略奪する者」、バビロンの滅亡は「主の復讐」だ”と言われます。それは主の民にとっては解放の時でした。エレミヤは、“イスラエルもユダも、その牧者、つまり指導者が民を惑わし偶像礼拝の罪にひきずりこんだから、さばかれ、捕囚の民とされたが、バビロンの滅亡の日は主の解放の時、主は彼らの罪を赦し、彼らは罪のない者とみなされる、さあ、「バビロンの中から逃げ、カルデヤ人の国から出よ。」”と捕囚の民に語られました。実際にイスラエルがバビロンから解放されたのは、捕囚から70年後のことでした。そして、主の救いが本当に成就するのは、さらに500年後の、イエス・キリストの十字架と復活によってでした。エレミヤは、バビロン滅亡の世界史上の大事件も、すべて、主の民の救いのためであると彼らに向けて語りました。私たちには、主は、イエスさまによる世界の、そして私の救いを、私たちに語ってくださいます。「イエスさまの救いは私のためです。感謝します。私はあなたのものです。」と祈りました。

                          唄野隆



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