聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エレミヤ書 34章 「それなのに、あなたがたは心を翻して、・・・。」 (エレミヤ書 34:16) バビロン軍はユダ全土に攻め込みエルサレムを包囲しましたが、エジプト軍が出動してきたと聞いて、一時、その囲みを解いたことがありました(37:5)。そのとき、エレミヤは、ゼデキヤ王に、“エルサレムは必ずバビロン軍の手に落ちる、王は捕らえられてバビロンに連れ去られる、しかし殺されることはない、その地で悼まれて葬られる”と告げました。小心で殺されることを恐れていたゼデキヤを励まし、ユダ最後の王にふさわしくこの事態に対処させたいとの主の憐れみが感じられます。そして、豊かな民たちには、“バビロン軍に囲まれていたときは奴隷の解放に同意したのに、バビロン軍が引くとまたその奴隷を連れ戻した”と彼らの不真実さを責められました。彼らは、バビロン軍に包囲されたときは、城外の農地で働く奴隷は必要がなく、彼らがエルサレムに逃げ込んでくると彼らを養う負担がかかってくるからでしょう。彼らは主のみこころに従う敬虔を装っていましたが、本当は自分の利益を求める人々だったのです。そういう不真実さにたいして主はさばきを宣告されました。二つに分けた子牛の間を通った者というのは、動物を裂いてその間を通り、約束を破ればそのように引き裂かれてもよいという、主と契約を結ぶときの儀式を示しています(創世記15:17)。主は、主に従うと約束した者にその履行を求められたのです。しかし、主は、そのようにして罰せられたユダをも救うと言われるのです。主の御約束に対する御真実と憐れみの深さは計り知れません。その恵みは私たちにも注がれているのです。 唄野隆 |