聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     エレミヤ書 25章

「私に主のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。」
          (エレミヤ書 25:3)

 エレミヤはユダの王ヨシヤの第13年に主の預言者として召され、それからずっと、ユダの民に主の預言を語り続けました。それは、“悪の道から立ち返り、主が先祖たちに与えられた地にとこしえに住め、他の神々に仕えるな”という悔い改めと信仰を促すメッセージでした。しかし彼らは聞かず偶像礼拝をやめませんでした。それで、彼は、“主はバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せ、彼に率いられた北の諸部族がユダを滅ぼし、エルサレムを廃墟にする、ユダの民は70年の間、バビロンの捕囚となる”と厳しいさばきを予告しました。しかし、すぐ続けて、“70年の後に、バビロンがユダを奴隷にしたそのしわざのゆえに、バビロンは滅ぼされ、廃墟となる”というバビロンにたいするさばきを語りました。それから、続けて、世界各国に対する主のさばきを伝えました。まずエルサレムに、それから、エジプトに対して。続けて、ウズ、ペリシテ、エドム、モアブ、アモン人。さらにツロ、シドン。そのほかアラビヤ、エラム、メデイヤ等々。最後にバビロン。厳しいさばきの宣告ですが、その奥に主の深い愛が感じ取れます。主は、イスラエルと、互いに相手を最優先する深い愛の交わりを求めたのに、イスラエルは他の神々に心を向け、何とかご自分の方に彼らの目を向けさせようと主が呼びかけても聞こうとしませんでした。そのイスラエルにたいする悲しみと怒り。その奥の深い交わりに招く愛。その愛がエレミヤの預言の中ににじみ出ています。感謝です。

                            唄野隆



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