聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     エレミヤ書 24章

「わたしは、・・・ユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。」
          (エレミヤ書 24:5)

 エホヤキムはエジプト王パロ・ネコによってユダの王とされましたが、バビロンネブカデレザルに攻められ、降伏しました。3年後、反逆しましたが、ネブカレザルがふたたび侵入してきて、エホヤキムは死に、その子エホヤキンまたの名エコヌヤが王となりました。ネブカデレザルは彼を廃し、ゼデキヤをユダの王とし、王エコヌヤと多くの有力者を捕囚としてバビロンに連れ去りました(2列王24章)。こういう場合、捕囚とされた人々は悪いから災いに遭い残された人は良かったから災いを免れたのだ、と考えられやすいのですが、主の見方は違いました。主はエレミヤに良いいちじくと悪いいちじくの幻を見せ、“捕囚として連れ去られた人々を良いいちじくのように顧み、彼らを育て、国に帰らせる、残された人々を悪いいちじくのように、捨て去り滅ぼしつくす”と言われました。主は“わたしは捕囚とされた民を良いものにしようと思う、彼らに目をかけ、彼らを建て直し、もう引き抜かない、彼らにわたしを知る心を与える、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる、彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからだ”と言われました。国を追われた捕囚の民はへりくだって主にすがり、主を知り、主と親しく交わる者とされるのです。残された者たちは自分たちの国を守ろうとし、主のさばきに合います。私たちも、自分を守ろうとするときいのちを失い、古い自分を捨てて主にすがるとき主を知り、救いを与えられるのです。“古い自分を捨て、悔い改めて主を求めよ”との主の招きの御声が聞こえてきます。

                            唄野隆



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