聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     エレミヤ書 21章

「見よ。わたしはあなた方の前に、いのちの道と死の道を置く。」
          (エレミヤ書 21:8)

 エレミヤは、ヨシヤ王の時代に預言者として召され、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤの時代まで、一貫して、ユダは主に背いたから、悔い改めなければバビロンに滅ぼされ、民はバビロンに連れ去られる、と語り続けました。その預言どおり、エホヤキン時代にバビロンが侵攻し、エホヤキンを初め多くのユダヤ人がバビロンに連れ去られました。バビロン王はユダにゼデキヤを王とする親バビロン政権を立てましたが、ゼデキヤがバビロンに反逆したので、エルサレムに再び攻めてきました。ゼデキヤは、昔、アッシリヤが攻め寄せたとき、ヒゼキヤ王がイザヤに祈りを求め、主がアッシリヤ軍を打たれた故事を思い起こしたのでしょうか(2列王19:2,36)、エレミヤに使いを遣わして、主の救いを期待しました。しかし、エレミヤは、“彼らは目に見えるバビロンと戦っていると思っているが、実は、主が彼らと戦い、彼らを打たれるのだ、彼らは切り殺され、残ったものはバビロンに連れ去られる”、と答えました。まもなく、そのとおりになりました。目に見えるところでなく、目に見えない主の御前で物事を見、判断することの大切さを示されます。その主は、これほど反逆を尽くした民に向かって、なおも救の道を示されました。それは敵バビロンの手に身をゆだねることでした。「カルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物となる。」自分を救おうともがきまわることによってではなく、静かに主のさばきに身を任せるところに、いのちへの道が開けるのです。不思議ですが真実です。

                            唄野隆



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