聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エレミヤ書 17章 「私をいやしてください。主よ。そうすれば私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。」 (エレミヤ書 17:14) 「ユダの罪は鉄の筆と金剛石のとがりでしるされ、彼らの心の板と、彼らの祭壇の角に刻まれている。」というユダの罪の告発のことばで始まり、そのため、彼らは主からの相続地を失い、捕囚の民として外国に連れて行かれるという宣告が続きます。それは、彼らが人に頼り、主を信頼しないからだと言われます。人は心の底から腐っていて、それは直そうとしても直らないのです。「人の心は陰険で、それは直らない。」と言われるとおりです。しかし、エレミヤは「私をいやしてください。主よ。そうすれば私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。」と祈りました。人間の側からは直る見込みはないのですが、主は救おう、癒そう、と思ってくださっています。ですから、私たちは、癒してください、救ってください、と祈ることができます。そして主の救いにあづかるのです。主は私たちを愛してくださっています。私たちが、救ってください、と祈るのを待ち構えていてくださいます。祈りさえすれば主は直ぐにも救ってくださいます。その救いは主のみ心を実際に行うようになることで真実であることがわかります。主の民だと主張しても、主の安息を守らない人は、実際に主の民とされていないことを示しています。しかし、自分で安息を守ろうとしても守れません。主を信じて主の救いにあづかった者は主のみこころに従って歩む者とされるのです(1ヨハネ3:9)。まず「主よ。あなたのものとしてください。」と祈りました。 唄野隆 |