聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エレミヤ書 16章 「だから、見よ。わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、私の手と、わたしの力を知らせる。彼らは、わたしの名が主であることを知る。」 (エレミヤ書 16:21) 主はエレミヤに「妻を娶るな。またこの所で、息子や娘を持つな。」、「服喪中の家にはいってはならない。悼みに行ってはならない。」、また「宴会の家に行き、いっしょにすわって食べたり飲んだりしてはならない。」と命じられました。ユダが滅ぼされ冠婚葬祭など無意味になるからでした。しかし、エルサレムとユダの民は、“私たちはいったいどんな罪を犯したのか”と主のさばきの宣告に言い逆らいます。ですから、主は彼らに向かって“お前たちの先祖が、そしてお前たち自身も、他の神々に仕え、主を捨て、頑なになって、主に聞き従わないから、お前たちを外国に引いて行き、そこで日夜、他の神々に仕えさせる”と捕囚のさばきを告げられました。しか、しその後、突然、「それゆえ、見よ、その日が来る。」と語り、捕囚の民が、連れ去られた所から先祖伝来の土地に帰ってくる、と解放を宣言されました。それは、彼らが異邦の地で異邦の神々に仕える生活を通して、偶像礼拝の空しさを悟り、「主よ。私の力、私のとりで、苦難の日の逃げ場よ。」と告白し、諸国の民も「私たちの先祖が受け継いだものは、ただ偽るもの、なんの役にも立たないものばかりだった。」と言って主を崇めるためだったのです。主は、私たちの人格を重んじ、強いられてではなく、自分で主の恵みと御力とを知り、自から信仰を告白するように導かれるのです。厳しいさばきの奥に、何としてでもご自身を知らせたいと働き続けてくださる主の恵みと忍耐を覚えます。 唄野隆 |