聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エレミヤ書 9章 「その日わたしは、・・・すべての者を罰する。すべての国々は無割礼であり、イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ。」 (エレミヤ書 9:25,26) エレミヤは、“同胞のことを思ってひたすら泣き叫び、彼らを離れて逃げ出したい、彼らは姦通者、裏切り者の集まりだから”と嘆きました。彼らの罪とそれゆえの滅びを示されてのことでした。深く激しい悲しみが迫ってきます。その奥に燃えるような愛のたぎりが感じられます。それは、さらにその奥の、主の深い愛と悲しみを反映するものであることを覚えます。エレミヤは、こううめきながら、民の前から逃げ出しませんでした。彼らの中に止まり、彼らの罪を責め、主のさばきを告げました。しかし、彼らは聞こうとしませんでした。エレミヤは、彼らが遠くの外国に捕囚の民として連れ去られるという主の宣告を伝えました。エレミヤは、希望の光が見えない、愛と忍耐との苦難の道を辿り、悲しさと憤りに身を焦がす歩みをしなければなりませんでした。これが主の預言者の歩みでした。それは、彼が、自分を主としようとする人々に、へりくだって主を恐れ主を知る者となるように語りかけたからです。彼が語ったのは人々の願いに真っ向から立ち向かうメッセージでした。人は、異邦人であるとユダヤ人であるとを問わず、自分を主としようとするものです。生来その根本的衝動を断ち切る心の割礼を受けている者はいません。ただ主の御霊が働かれるとき、心に割礼が施され、自分を捨て、主を恐れ、信じ、愛する者とされるのです(ローマ2:29)。御霊さま、わが内にはいり、心に割礼を授け、悔い改めて主を信じる者としてくだい、と祈りました。 唄野隆 |