聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      エレミヤ書 2章

「わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」
          (エレミヤ書 2:13)

 主は、イスラエルの人々に向かって、「わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。」と語りかけられました。ユダも昔は主を信じ主を愛し主に従っていたのです。しかし、生活が安定すると、主を忘れ、自分の欲望を満たすことに心を向け、それを容認してくれるような偶像に従うようになっていったのです。彼らは、主が何をしてくださったか、自分は何者であるかを考えなかったのです。主を信じることと自分自身を知ることは重なっています。主を知り自分を知り主にあって自分自身を受け入れることができると、人は落ち着いて安定した歩みに導かれますが、欲望にひかれ目先のことに流されると、真実さを失い、あちらこちらのものにひかれます。ユダの人々は、主を見失い、偶像に心を向けるようになり、周辺の強国が興隆し衰退する中で、アッシリヤに手をさし伸ばし、エジプトに色目をつかい、不真実さのゆえに信頼を失って、どこからの助けも得られなくなっていき、ついに滅びることになりました。主はそのことを指摘されたのですが、彼らは、「私には罪がない。」と言い張って、悔い改めませんでした。自分の罪を認めて悔い改めるやわらかい心が、救いの第一歩です。目先の出来事や自分の願いにではなく、その奥に働いている主の御手を認め、自分自身をしっかり見つめることの大切さを思います。

                            唄野隆



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