聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。」 (イザヤ61:7) 今日のイザヤ書61章では、救い主、メシヤが神の民にもたらす祝福がどのようなものであるかが預言されています。 1節と2節は、ルカの福音書4章18節・19節で、イエス様がご自分のことについての預言として引用されている言葉です。つまりイエス様は貧しい者を慰め、心の傷ついた者をいやすために、来て下さったのです。貧しい者、心の傷ついた者は、この世の中では見下されることが多いものです。それで、私たちは自分の貧しさ、弱さを隠そうと、イエス様に対してさえしてしまいがちです。しかし、イエス様は私たちの貧しさ、弱さをご存知で、その貧しい、弱い私たちのために来て下さったのです。イエス様の前に私たちは自分の貧しさ、弱さを隠す必要はないのです。そのままの自分を差し出す時に、私たちはイエス様からの慰めを、いやしを経験することができるのです。ありのままの自分をイエス様の前に差し出し、イエス様からの慰めといやしを経験させていただきましょう。 7節から8節では、神様が、私たちが受けてきた恥や侮辱を覚えていて下さり、やがてそれらに倍する祝福を与えて下さることが預言されています。ご自分が十字架の上で最もひどい恥と侮辱を経験されたイエス様が、私たちの経験してきた恥や侮辱を知っていて下さり、その辛さを共にして下さっているのです。そしてやがてそれに報いて下さるというのです。何と深い慰めではないでしょうか。 10節や11節では、やがての時に、神様がもたらして下さる祝福は、マイナスからの回復だけではなく、むしろ大きなプラスであることが語られています。そこで私たちは主によって大いに楽しみ、喜ぶことができるのです。この世での主との交わりの中で経験する幸いはその前味にすぎないのです。 その終わりの日に待っている素晴らしい祝福を待ち望みながら、この地上での生涯、日々、主からの慰めといやしをいただき、主を喜び、日々、歩み、信仰の生涯を全うする者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |