聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「多くの実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし」 (ホセア10:1) 今日のホセア書10章でも、北イスラエル王国への神様の裁きが差し迫ったものであることが預言されています。 1節では、神様がせっかくイスラエルを祝福し、豊かにして下さったのに、人々が神様に背いて、その豊かさを用いて、偶像礼拝のための祭壇を築いたことが指摘されているようです。 3節では、北イスラエル王国の末期には、王様らしい王がいなくなってしまったこと、けれども、今更、王様らしい王様がいたとしても、どうしようもない状況であったということ、そして、そういう状況が、自分たちが神様を恐れず、神様に従わなかったからだ、ということを人々はわかっていたということが語られています。その彼らが、預言された通りに滅ばされたことは、間違っていた、悪かったと思うだけでは、救いに与かることはできないということを教えてくれているように思われます。私たちはどうでしょうか。 9節の「ギブアの日々」とは士師記19章から20章に記録されているレビ人のそばめが町中の男たちに犯された揚げ句に、死んでしまった出来事を指しているようです。 10節の「二つの不義」とは、北イスラエルの人々が主を捨てたことと、主の立てられたダビデ王家に背いたことを指しているようです。 11節は、すぐにえさにありつくことのできる麦打ち場の仕事を好む、雌牛に北イスラエルがたとえられています。それに対して、まぐわを引いて畑を耕すことは結果が見えない辛い仕事として、神様の裁きを象徴しているようです。その譬えが示唆しているように、イスラエルの人々は、目の前の結果だけを求め、主に信頼し抜こうとせず、結局、神様の裁きを受けることになってしまいました。私たちはそうではなく、主を信頼し抜く者、そうして人の思いを越えた主からの祝福に与かる者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |