聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、 後の雨のように、地を潤される。」 (ホセア6:3) 今日のホセア書6章は、3節までではやがて来る悔い改めの時にイスラエルの人々が抱く思いが語られ、4節以降では、もう一度、現状の罪深さが指摘されています。 2節の「二日の後」とか、「三日目」の、2とか3とかの数には特に意味はなく、ただ主の救いが確実にやって来ることを表現しているだけのようです。 1節にあるように、神様は裁きの後、悔い改める者に、いやしを与え、3節にあるように豊かな祝福を与えて下さるのです。何をしてももう仕方がない、と絶望してしまうのではなく、まず悔い改める所から始めさせていただきましょう。 3節までではやがて来るべき悔い改めの時のことが預言されているのに対して、4節からは、再び、当時の状況に立ち戻ってイスラエルの人々の罪が指摘されています。 4節の3行目や6節の1行目に出て来る「誠実」と訳されている言葉はヘブル語ではヘセドという言葉で、他の所では、愛とか恵みとか憐れみというようにも訳されている言葉です。神様に対する誠実さとは、人間の意志や努力だけによるものではありません。そういう人間的な意味での真面目さは4節の後半で言われているように、時間の経過とともに、またちょっとしたことをきっかけに失われてしまうものです。そうではなく、3節で言われているように何よりも主ご自身を知るところから来るものこそが、本当の意味での「誠実」であるわけです。イエス・キリストご自身とお出会いさせていただくことをまず求め、主とその恵みを知る者、そうしてその主に答えていく本当の意味で主に誠実な者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |