聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「『再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。』」 (ホセア3:1) 今日のホセア書3章では、1節から3節でホセアが神様に命じられた通り、自分の元を離れて他の男に走った自分の妻ゴメルを引き取ったことが述べられ、それに続く4節と5節ではそのホセアの行いが、神様のイスラエルに対する愛と赦しと寛容を象徴している、ということが語られています。イスラエルの人々は、ホセアの妻ゴメルがそうであったように、神様を裏切り、神様の元を離れ、その結果、結局国を追われることになってしまいますが、そんなイスラエルを神様はなおも見捨てず、やがて時が来れば回復して下さる、というのです。 1章の3節から8節を見ますと、ホセアの妻ゴメルが3人の子どもを生んだことがわかりますが、その後、ゴメルは他の男に走り、ホセアの元を去っていたようです。現代日本とは違い、これはイスラエルの社会では死刑に値する罪とされていたことですが、神様はそのゴメルをもう一度自分の妻として愛するようにホセアに命じたわけです。 しかも、2節を見ますと、どうやらゴメルは奴隷として自分の身を売ってしまっていたので、その買い主にお金を払って買い戻す必要もあったようです。 これは、ホセアの立場から普通に考えれば、とんでもないことでした。しかし、私たちも神様に愛されていながら、自分で勝手に神様のもとを離れ、神様以外のなにものかに喜びや慰めを見出そうとして、結局、全てを失い、途方に暮れていたような者、神様から見捨てられて当然のものではなかったでしょうか。にもかかわらず、その私たちを神様が赦し、受け入れ、愛して下さったから今の私たちがあるのではないでしょうか。その神様の深い愛と忍耐に感謝の思いを新たにさせていただきましょう。 中谷建晴 |