聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。」
(ハバクク3:18)

今日のハバクク書3章は、2章2節から20節の神様からの答えを聞いたハバククの信仰告白です。
3節のテマンは死海の南東側のエドム人の住む地域、パランはユダ王国の南の端からシナイ山にまで至る砂漠の地域で、いずれも出エジプトの後、イスラエルの人々がさまよい歩いた地域です。
7節のクシャンとミデヤンというのは、6節の2行目の「諸国」の例として挙げられているようです。ミデヤンというのは、イスラエルを真っすぐずっと南に下った海に面する地域およびそこを中心に活動する遊牧民族を指していますが、クシャンが何を指すのかはっきりしたことはわかっていません。
17節は神様の裁きを表現したもののようです。
19節の最後の「指揮者のために。弦楽器に合わせて。」という但し書きや、セラという言葉が本文の中で何度も繰り返されていることなどから、このハバクク書3章が形式の上でも、また内容的にも、いくつかの詩編と重なり合っていることがわかります。特に、詩編18編や77編などの「嘆きの詩編」と呼ばれている詩編と重なり合っている部分が沢山あります。
2節にあるように、苦しみの中で神様の憐れみを呼び求めていること。3節から15節で象徴的に語られているように、これまでのイスラエルの歴史の中に見られる神様の御業、特に出エジプトの時の出来事が、顧みられていること。また、16節以降では、そこから、作者が神様に対する信頼を告白していることなどを、その「嘆きの詩編」と重なり合っている特徴として挙げることができるでしょう。
そして、こういった「嘆きの詩編」との共通点は、私たちの信仰の歩みがどういうものであるのか、ということを示唆してくれているように思われます。
すなわち、信仰の歩みとは、一度、何か劇的な経験をして、後はその勢いだけでやって行くようなものではなく、神様に対して心を注ぎ出して祈り、神様が自分にして下さった御業を思い起こすことを通して、日々、信頼を新たにし、そうして一日一日、神様にお従いして行くものなのです。そのようにして主が用意して下さっている祝福に与かる者とならせていただきましょう。

 中谷建晴



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