聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会
聖書一日一章

「その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」
(エゼキエル48:35)

今日のエゼキエル書48章では、千年王国時代のイスラエル各部族への土地の割り当てについて述べられています。
47章の14節で言われていたように、12部族に公平に土地が割り当てられるわけですが、北から南にかけて相続地はそれぞれ東西に長い帯状になっているようです。
45章の1節から7節で述べられていたように、その真ん中にはどこの部族にも属さない地域が置かれます。今日の48章の8節や23節によりますと、北側はユダ部族の相続地、南側はベニヤミン部族の相続地に接している帯状の土地がそれに当たるわけですが、その中央、約13キロメートル四方がさらに45章の1節で言う聖なる区域、とされています。
今日の48章の21節から22節によりますと、その約13キロメートル四方の正方形を除く残る帯状の土地は君主の土地とされることになります。
さて、その約13キロメートル四方の土地は東西に細長い3つの帯状の土地にさらに分けられるわけですが、今日の48章の12節によりますと、その中央の帯状の地域が祭司の居住地でその真ん中に神殿が置かれることになっています。祭司の居住地の北側の帯状の地域がレビ人の居住地、南側が町の一般用の地域とされています。これらは45章で述べられていたのと同じ内容ですが、この48章では、祭司の居住地に接する南側の帯状の土地に建設される町について詳しく書かれています。16節から17節では、その町が4,500キュビト、約2.4キロメートル四方であること、30節から34節では、その四方にイスラエル12部族の名前のつけられた門があることが語られていますが、最後の35節では、この町が「主がここにおられる」という名前で呼ばれることが言われています。そしてこれこそが他のどんなことよりも、この町を、またこの国を特徴づけるものです。
主がともにいらっしゃらなければ、エゼキエルの時代に至るイスラエルの歩みがそうであったように、どんなに正義にかなったシステムや仕組みを考え出しても、それらは祝福を約束するものとはなりません。外面的なことを整えることにばかりに心奪われるのではなく、主がここにいらっしゃる、そういう教会、そういう礼拝、そういう交わり、そういう家庭となることをまず祈り求めてまいりましょう。

中谷建晴



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