聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会 聖書一日一章 「労働をする六日間は閉じておき、安息日と、新月の祭りの日にはあけなければならない。」 (エゼキエル46:1) 今日のエゼキエル書46章は、1節から15節までが、世の終わりの時の神殿で捧げられる礼拝の決まり、16節から18節が王の相続地について、19節以降は祭司が捧げ物を食べる本堂のすぐ隣にある部屋について、という内容になっています。 45章の17節、21節、25節でも言われていたように、千年王国時代にも、神殿で新月の祭り、過ぎ越しの祭り、仮庵の祭りが祝われ、安息日には礼拝が捧げられること、になっているようです。キリストの十字架によって罪の贖いは完成されてしまっているので、その祭りや礼拝は、ユダヤ人たちにとってそうであったように、そうして初めて罪が赦されるというようなものでも、それに参加しなければ神の民としては失格になるとかいうようなものでもなく、純粋に神様を喜び、神様を賛美するためのものであると考えられます。ですから、そこで捧げられる捧げ物は純粋に感謝を表し、神様に仕える思いを表現するためのものであるわけです。 私たちも、キリストの御業のゆえに、規模や形は違っても、本質においては、ここで預言されている世の終わりの時のものと同じ礼拝を捧げさせていただいているのです。 1節では6日間の労働ということが示唆されていますが、今、世の終わりの時のものと同じ礼拝を捧げさせていただいている私たちにとっては、労働もまた世の終わりの時のものと同じ意味を本質において持つものとされていることが示唆されています。私たちの労働は、主に仕え、神の国の建設の一部に与かるものになっているのです。そういう風に私たちの全生活を主にあって意味あるものとするものは礼拝です。ですから礼拝は何よりもまず優先されるべきものであるわけです。このことをもう一度しっかりと心に留めましょう。 中谷建晴 |