聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会
聖書一日一章

「その日に君主は、自分のためと国のすべての民のために、罪のためのいけにえとして雄牛をささげなければならない。」 (エゼキエル45:22)

今日のエゼキエル書45章は、8節までが千年王国時代の神殿とそこで奉仕する者たちの住むべき場所について、9節以降がその時の君主の努めについて、となっています。
1節の3行目で奉納地の幅は一万キュビトとなっています。現存するヘブル語の写本ではこの通りですが、これは脚注にあるように、七十人訳と呼ばれるギリシャ語訳では二万キュビトとなっていますし、シリヤ語、ラテン語訳などでもそうなっていますので、おそらく二万キュビトが元々の正しい読み方ではないか、と考えられます。そうしますと、6節の奉納地に沿った幅5千キュビトの土地を合わせると、縦横2万5千キュビト、約13キロメートル四方の正方形の土地が、特別の土地とされていることになります。それが東西の線で区切られ、横長の長方形が3つ並ぶような形になっています。真ん中の長方形が祭司のための地域で、全体の正方形の中心でもある、その長方形の中心に神殿が置かれています。北側の長方形がレビ人のための土地、南側の長方形は、6節で言われているおそらくはエルサレムを指す、都としての機能を持つ町のための土地となっているわけです。
7節にあるように君主の土地は、その13キロメートル四方の東西に広がり、国そのものの東西の境界線にまで及びます。また、8節から14節では、君主の主な役割が正しい分配をすること、15節以降では捧げ物をすることである、と言われています。神様を中心とした国が建てられることがここではっきりと預言されているわけです。
私たちはともすれば、神様の働きを心の世界や、現実の世界でのちょっとした出来事に限定して考えてしまいがちではないでしょうか。しかし、神様は文字通り全世界を支配し、やがて誰の目にもはっきりとわかる形でご自身が主であることを明らかにされるのです。その偉大な主が私たちの神様であり、その主が私たちのために心を配って下さっているのです。何ともありがたい、感謝な、また安心なことではないでしょうか。

 中谷建晴



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