聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会
聖書一日一章

「それは、ほかの門と同じ寸法であった。」 (エゼキエル40:24)

今日のエゼキエル書40章から48章は、キリストが王としてこの世界を千年にわたって支配されるやがて来る千年王国時代の神殿の姿とそこで起こる出来事についての預言です。そのうち、今日の40章から42章では、その神殿の配置と寸法が詳しく預言されています。
キュビトは古代中東世界では広く用いられていた長さの単位で、中指の先から肘までの長さが1キュビトということになっていました。ですから大体45センチ強が通常1キュビトになりますが、5節の3行目から4行目を見ますと、ここでは、それに手の幅、10センチ弱、を足したもの、大体53センチぐらいが1キュビトとするということが言われています。1さおはその6キュビト分ですから大体3メートル20センチぐらいになると考えられます。
このエゼキエルが見た神殿はその全体が正方形で、1さお分、約3メートル20センチの厚さの壁に外側を囲まれたもので、その内側に広い庭があり、その庭の真ん中に本堂があるという配置になっているようです。
神殿には北と東と南に3つの入り口がありますが、6節から16節ではそのうちの東側からの入り口、東向きの門の構造が詳しく述べられています。続く17節から19節は、その東向きの門から神殿の中に入った時に目に入る庭の様子です。
20節から27節で、北向きの門も、南向きの門も、東向きの門と同じ構造であることが語られた上で、28節からはいよいよ本堂に続く門を経て、本堂のある内庭に入って来るわけです。
そういう中で詳しく配置と寸法が述べられているのは、それがどうでもよいものではない、ということを物語っています。霊的であるということは、具体的な一つ一つのことをなおざりにしてもよいということを意味しないのです。仕事においても、勉強においても、家事においても、教会での奉仕においても、具体的な一つ一つのことを大切にすることこそが霊的な祝福につながって行くのです。
中谷建晴






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