聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会
聖書一日一章

「わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。」
(エゼキエル34:11)

今日のエゼキエル書34章では、まず、それまでのイスラエルの指導者たちの罪が明らかにされ、続いて、神様ご自身がイスラエルの人々を養い、守られることが約束されています。
3節から4節、また8節で言われているように、イスラエルの指導者たちは、人々のことを思うのではなくて、人々を利用することだけを考えるような者であったようです。そのため、5節で象徴的に表現されているように、イスラエルの人々は、散々な目に会い、その多くが捕囚として連れ去られてしまったわけです。10節にあるように、神様はそういう指導者を退けられます。相応しくない指導者は指導者自身にとっても、またその者から指導を受ける者にとっても大きな悲劇を招くことになります。ですから、指導者のために祈ることは私たち自身のためでもあるのです。是非、牧師や役員のためにお祈り下さい。
そういう指導者にかわって11節以降では神様ご自身がイスラエルの人々の世話をするとおっしゃっておられますが、これは、世の終わりの時のことを語ったものであると考えるのが妥当なようです。
23節から24節の「わたしのしもべダビデ」と言われているのは、キリストご自身のことです。世の終わりの時には、キリストご自身が王としてこの世界を治めて下さるのです。
世の終わりの時の、神様が支配し、キリストご自身が治められる世界では、16節から21節にあるように正義と公正が実現されます。また、25節以降で述べられている通りそこは豊かな祝福が溢れた世界になります。豊かではあっても不公平であったり、正義は行われていても貧しいというようなことのない理想的な世界がやがて、神の民である私たちには用意されているのです。
私たちは、目の前の世界が全てであるかのように思ってしまいがちですが、そうではないことをしっかり心に留め、やがて用意されている私たちの思いを遥かに越えて素晴らしい世界に入る者とならせていただきましょう。

中谷建晴



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