聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「このとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」 (エゼキエル29:9) 今日のエゼキエル書29章から32章まではエジプトに下る神様の裁きについての6つの預言です。 そのうち、今日の29章は、16節までが第一の預言、17節からが第二の預言となっていて、第二の預言は次の30章の19節まで続いています。 1節の第10年の第10の月とは、紀元前588年の12月か翌1月のことです。この時期、エルサレムを包囲していたバビロンの大軍は、エジプトが出撃して来たので一旦、エルサレムを離れ、ユダの人々の多くは、これでエルサレムは助かったと考えたようです。そういう中で、神様はエゼキエルを通してエジプトの滅亡を預言されたわけです。6節から7節にある通り、エジプトはユダの人々にとって当てにならないものでしかなかったのです。神様以外のものは、エジプトのように、これこそが自分を助けてくれるものだと思えるようなものであったとしても、結局の所、本当の力になってはくれないのです。神様以外のものに頼り、気が付いてみれば取り返しのつかない事態に陥ってしまっていたユダの人々のようにはならないよう、心しましょう。 17節から30章の19節までは、エジプトに下る神様の裁きについての第二の預言ですが、17節から、この預言が紀元前571年の春先のものであることがわかります。つまり、この第二の預言は、6つの預言の内、時間的には最後のもので、第一の預言の約16年後のものだということになります。ここでは、ツロの滅亡と関連づけて、エジプトの滅亡が語られていますが、ツロがバビロンに包囲されながら13年間も持ちこたえたのは、地中海を通してのエジプトの援助があったからだと考えられています。しかし、それは神様のツロを裁こうとする御心に反する行いであったわけで、エジプトはそれがゆえにやがてバビロンに踏みにじられるわけです。御心に反する行いに走り、同じ様に、神様の裁きを受ける者とならないように私たちも心しましょう。 中谷建晴 |