聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会 聖書一日一章 「あなたは人であって、神ではない。」 (エゼキエル28:9) 今日のエゼキエル書28章は、19節までは26章からのツロに対する裁きの宣告の続き、20節から23節はツロの姉妹都市であったシドンに対する裁きの宣告、24節以降は、イスラエル民族の回復についての預言となっています。そのように、ツロやシドンに対する裁きの宣告の直後に、イスラエルの回復が預言されていることは、神様の思いがあくまでも御自分の民であるイスラエルに向けられていたことを示唆しています。すなわち、ツロやシドンを初めとするイスラエルの周りの国々に対する裁きも、神様がイスラエルだけを罰するのではなく、全世界を正しく裁くお方であることをイスラエルの人々に見せる、という目的があったようです。イスラエルの人々に対してそうであったように、神様は、キリストのゆえに神様の民とされた私たちに特別の関心を持ち続けて下さり、私たちの救いのため、私たちの成長のために全てをアレンジして下さっているのです。神様の深いご配慮の中に置かれていることを心に留め、目の前の人や出来事そのものに振り回されてしまうことのないように心しましょう。 19節まででは、ツロの王に対する裁きが宣告されています。13節の「神の園、エデン」という表現は、エデンという言葉そのものに喜びとか歓喜というような意味があることも考え合わせますと、ツロの中にあったその守護神メルカートの神殿およびその境内を指すと考えられます。また、14節や16節に出てくるケルブは古代中東世界で偶像の宮を守るものと考えられていた人と獣と鳥の合いの子のような存在を指すと考えられます。旧約聖書の中に出てくるケルブも古代中東世界では特別なものではなかったようです。これらの表現は2節にあるように、ツロの王が自分を神としていたことを表しています。自分を神とする傲慢さのゆえに彼は徹底的な裁きを受けることになったのです。しかし、私たちも自分の考え、自分の感情、自分の都合を絶対化し、神様よりも自分を優先させるようなことを、結局自分を神とするようなことをしてはいないでしょうか。そうではなくて、自分を神様の前に低くし、神様に従い、神様に仕え、神様の与えて下さる祝福に与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |