聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「ツロよ。わたしはおまえに立ち向かう。」 (エゼキエル26:3)

今日のエゼキエル書26章から、28章の19節までは、ツロに対する神様の裁きの宣告です。ツロは現在のレバノン南部の海岸線沿いの、地中海に浮かぶ島で、当時地中海貿易で莫大な利益をあげていたようです。また、ツロの上に下されようとしている裁きの宣告がおよそ3章にもわたっていることは、ツロが政治的にも重要な町であったことを示唆していると考えられます。
1節ではこの預言がエルサレムが正に攻め落とされようとしていた紀元前587年から586年の間に与えられたものであることがわかります。
2節ではツロの人々がエルサレムの滅亡をあざけり、喜んでいます。おそらくはエルサレムの滅亡によって、多くの分捕りものが流れ込んで来て、それで大きな利益をあげられるであろうこと、また、ツロのライバルとなりうる町が滅びたことを喜んでのことである、と考えられます。そんな風に自分たちの利益だけを考え、他の人の不幸でさえ自分の利益となるのであれば喜ぶツロの上に、神様の徹底的な裁きが下るのは当然と言えば当然のようにも思われます。しかし、実は私たちもツロの人々と似たような者なのではないでしょうか。自分の得になるか、自分が満足できるか、自分がいい気持ちになれるか、ということが第一になっているようなことはないでしょうか。だとすれば、私たちもツロと同じ様に、神様に徹底的に裁かれて当然の者なのです。イエス様はそんな私たちの身代わりとなって、十字架の痛みと苦しみと辱めを負って下さったのです。何と感謝なことではないでしょうか。
3節から15節では、ツロが攻め滅ぼされる様子が描かれています。海に囲まれたツロの町は、難攻不落と思われていましたが、それでも神様の裁きを免れることはできなかったのです。私たちも、本来は、どのようにしても神様の裁きを免れることはできない者であること、そこからイエス様の十字架によって救い出されたことを覚え、感謝しましょう。

中谷建晴



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