聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「このとき、あなたは、わたしが主であることを知ろう。」(エゼキエル25:7)

今日のエゼキエル書25章は、時間的に言えば、昨日の24章の続きということになりますが、内容的には33章まで続く、イスラエルの周りの国々への裁きの預言の最初ということになります。
2節から7節までは、アモン人に対する裁き、9節から11節はモアブに対する、12節から14節はエドムに対する、15節から17節はペリシテに対する裁きの宣告です。
4節や10節の東の人々とはバビロンのことのようです。実際、エルサレムが滅ぼされてから5年目には、アモンもモアブもバビロンに屈服させられました。
5節のラバはアモンの都です。8節のセイルはエドムの別名です。
9節に名前の出てくる町々は、要害に恵まれたモアブの人々が頼りにしていた要塞都市であったようです。
13節に名前の出てくるテマンとデダンという町がどこにあったのか、はっきりしたことはわかりませんが、「テマンからデダンに至るまで」という表現はエドム全土にわたってということを意味しているようです。
また、16節のケレテ人とは、ペリシテ人の別名です。
これらの国々が神様の裁きを受けたのは、エルサレムの滅亡をあざ笑い、その弱みにつけこむようなことをしたり、イスラエル民族も他の民族と何の違いもない、と声高に語ったりしたためである、と言われています。神の民が痛めつけられたり、辱められる時に、神様はそのままにはしておかれないお方なのです。ですから、私たちが信仰のゆえに辱められたり、あざけられたりすることを、神様はそのままにはしておかれません。ですから、私たちには自分で復讐する必要はありません。むしろ、私たちをあざける者は、とりなしをしてあげる必要があるぐらいなのです。

中谷建晴




Copyright© Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.