聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「彼女はエジプト以来の淫行をやめようとしなかった。」(エゼキエル23:8) 今日のエゼキエル書23章では、北イスラエル王国と南ユダ王国の罪が何とも毒々しい譬えを用いて語られています。 4節にある通り、オホラは北イスラエル王国の都であったサマリヤを指し、オホリバは南ユダ王国の都エルサレムを指します。オホラとはヘブル語では「彼女のテント」もしくは「彼女の幕屋」という意味で、おそらくは、偶像礼拝を行うテントを象徴する名前であろうと考えられます。また、オホリバとは「わたしの幕屋は彼女の中にある」という意味で、エルサレムの神殿を象徴する名前であろうと考えられます。 北イスラエル王国と南ユダ王国が、神様を信頼し抜くことをせず、アッシリヤやバビロンといった強い国との同盟によって安全を確保しようとしたことが、この二人の姉と妹が淫らな行いを重ねて行く様子に譬えて描かれています。わざわざこういう譬えが用いられている背景には、他の国との同盟には、その相手の国の偶像礼拝やその偶像礼拝に伴う淫らな行いに倣うということが伴っていたからである、と考えられます。 3節や8節、19節や21節、27節から、そういう偶像礼拝やそれに伴う淫らな行いは、かつてイスラエル民族が奴隷として400年間止め置かれたエジプト以来のものであったことがわかります。そして、このことは、私たちの内にある罪や汚れというものが、私たちの深い所にまとわりついているものである、ということを象徴していると考えられます。ですから、人間的な努力や頑張り、誠実さ、そういったもので、私たちは罪や汚れから自由になることはできません。神様の力による以外にはないのです。自分が罪深い、汚れきった存在であり、自分ではどうしようもできないもの、神様に何とかしていただくしかない者であることを認め、神様の前にへりくだり、神様からの新しい命に生かしていただく者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |