聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させる」 (エゼキエル17:24) 今日のエゼキエル書17章は、神様がイスラエルの人々にかけたなぞなぞとその説き明かしです。 3節から10節までがなぞなぞ、11節から21節がその説き明かし、22節以降は後書きのようなものになっています。 3節の大鷲は、12節にあるように、バビロンの王ネブカデネザルを、杉のこずえとは、ネブカデネザルが紀元前597年にバビロンに連れ去ったユダの王エホヤキンを指すようです。4節の若枝の先とはエホヤキンと一緒に連れ去られた指導者たちのことを指し、商業の地とは、16章の29節などを見ますとバビロンのことを指すようです。 5節の種とは、エホヤキンの後、バビロンによって王にされたゼデキヤのことを指し、続く6節は、ゼデキヤはそれなりの権力を奮うことが許されたがそれはあくまでバビロンの支配の下における制約の伴うものであったことを語っているようです。 7節のもう一羽の大鷲は、エジプトの王様のことで、ぶどうの木がその大鷲に向かって根を伸ばす様子は、ゼデキヤ王がエジプトを頼りに、バビロンに反逆を企てたことを語っているようです。9節と10節は、そのゼデキヤ王に対する神様の裁きの預言ということになります。 22節の杉とはダビデの家系のことを、柔らかい若枝とはやがて来る救い主、メシヤのことを指しています。23節では、そのメシヤがイスラエルの王として全世界を支配するようになることが預言されています。 そしてその全ての出来事は23節で述べられているように、全て主の主権のもとに起こされた出来事なのです。私たちもそういう主の主権のもとに一方的に救われ、永遠の命に与かることが許されたのです。その一方的な恵みのゆえに、神様に感謝しましょう。 中谷建晴 |