聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「あなたは、あらゆる忌みきらうべきことや姦淫をしているとき、かつて自分がまる裸のまま、血の中でもがいていた若かった時のことを思い出さなかった。」 (エゼキエル16:22)

今日のエゼキエル書16章では、エルサレムに代表されるイスラエルの人々の罪が淫行を重ねるふしだらな女に譬えて語られています。
この預言の大変な毒々しさは、自分たちの罪は、それほどではないと思っていたイスラエルの人々に、そうではないということを悟らせる必要があってのものであろうと考えられます。
私たちも自分の罪を軽く見ようする傾向があること、自分の罪がどれほどひどいものであるかが実際の所わかっていない者であることを覚えて神様と人との前に謙虚にならせていただきましょう。
 3節では、比喩的な表現を用いて、エルサレムの起源がイスラエルの人々がパレスチナに進出して来る以前であったことが、4節から5節では、エルサレムが長らく、顧みられることのなかった町であったことが語られています。
6節から14節では、神様がダビデを通してエルサレムを都とされ、やがて神殿が建設され、大変栄える町とされたことが語られています。
15節から34節では、エルサレムが自分の繁栄が神様から来たものであることを忘れ、それを悪用し、自分自身を汚していった様子が描かれています。
私たちも自分がどんな所から救われたか、神様に救っていただくことがなければどんな虚しい人生を歩んでいたか、ということを忘れて、いつのまにか全てが当たり前のようになり、感謝を忘れ、ただ感覚的な刺激や感動を求め、結果として明らかに御心に反することをしてしまっているようなことはないでしょうか。もしそうならば、悔い改めて、主に従う思いを新たにさせていただきましょう。

中谷建晴



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