聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。」 (エゼキエル15:7)

今日のエゼキエル書15章では、神様の裁きが避けられないものであることが譬えを用いて預言されています。
ユダヤ人たちにとっては、エルサレムが徹底的に滅ぼされるというエゼキエルの預言は理解しがたいものであったようです。というのも、ユダヤ人たちは自分たちは、神様に選ばれた特別な民族であり、その特別な民族を神様が滅ぼすようなことをされるはずがない、と考えていたからです。ですから、彼らにとっては、もしエルサレムが滅びるようなことがあれば、それは神様が不真実な方であるか、ご自分の民を守る力のない方である、ということになってしまいかねなかったわけです。
その彼らの疑問に対する神様からの答えがこのエゼキエル書の15章です。ここでイスラエル民族は、ぶどうの木に譬えられています。2節から3節で言われているように、ぶどうの木は木材としては何の役にも立たず、その価値は実を結ぶところにこそあります。それと同じ様に、イスラエル民族も、信仰の実を結ぶ所にこそ意味があるのに、実を結ぼうとしないならば、滅ぼされるのは当然ではないか、ということが言われているわけです。
私たちも、ヨハネの福音書15章5節でイエス様がおっしゃっておられるように自分自身の力でではなく、イエス様にしっかりつながり、実を結ぶ者とならせていただきましょう。
7節の後半では、イスラエルの滅亡が残された人々に神様を証しし、彼らが悔い改めて主に立ち返るためであることが、示唆されています。神様の目的は裁くことにあるのではなく、人が悔い改めてご自分のもとに立ち返ることにあるのです。裁かれていると感じた時に、だから、自分はもう駄目だと思ってしまうのは間違いです。そういう自分をなお招いて下さっているその神様の招きに応え、御救いに与からせていただきましょう。

中谷建晴



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