聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「実に、彼らは、平安がないのに『平安。』と言って、わたしの民を惑わし」
(エゼキエル13:10)

今日のエゼキエル書13章では、偽預言者に対する神様の裁きが預言されています。
10節から15節では、偽預言者の語る平安が見せかけだけの、うわべだけのものであるということ、そして、そのことはやがて明らかにされてしまう、ということが言われています。
私たちは耳触りのよい言葉にひかれてしまう傾向があります。しかし、神様からのものでない慰めの言葉は、いよいよという時には力になりません。一方、エゼキエルの預言がそうであったように、神様からの言葉は、私たちの肉的な思いに反するものであり、耳触りのよくないものです。しかし、そこにこそどんな時にも変わることなく力となり慰めとなり命となるものがあるのです。自分にとって心地よいかどうかを基準にして、偽預言者の言葉に聞き従ったイスラエルの人々は滅びてしまいました。そのようなことにならないように心しましょう。
6節では、偽預言者たちが律法ではっきり禁じられている占いをしていたことが指摘されています。また18節では女偽預言者たちが、魔術のようなことをして人を呪う、というようなことをしていたらしいことがわかります。19節の「ひとつかみの大麦」 「少しばかりのパン」も占いに用いられたもののようです。偽預言者たちは『主の御告げ』と語りながら、その主の御心に全く反することをしていたわけです。さらに6節の最後を見ますと、偽預言者たちが、自分の思いを語っただけの言葉を、いつの間にか、自分でも神様の言葉であると信じ込んでしまっていた、ということがわかります。ということは、本人に確信があるかどうか、というようなことも、それが神様の御心かどうかの基準にはならないというわけです。
神様の御心かどうかは、それを本当に神様が語られたかどうかということにこそかかっているのです。自分にぴったりくるとか、確信があるとかいうことよりも、今で言えば、神様の語られたお言葉である聖書の語る所が基準です。そこを土台にして、御心にかなった主に喜ばれる人生を歩む者とならせていただきましょう。

中谷建晴



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