聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「『わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与える。』」 (エゼキエル11:17)

今日のエゼキエル書11章までが、エゼキエルが神様の不思議な力によってバビロンにいながら見せていただいたエルサレムについての幻です。
1節で出て来る25人は8章の16節の25人とは別の人ながら、やはり指導的な立場にある者たちのようです。
3節の冒頭の「家を建てるにはまだ間がある。」とは、エルサレムの町がすぐに攻め滅ぼされてしまうわけではない、ということを、続く「この町はなべであり、私たちはその肉だ。」とは、城壁に守られているのだからエルサレムの中に住む自分たちは大丈夫だということを語った言葉のようです。彼らは、エレミヤたちから、エルサレムの破滅は間近であるという神様からの警告を聞いていたにもかかわらず、何の根拠もなしに楽観的な見通しを人々に語り、6節で言われているように、いたずらに犠牲者を増やし、また、7節から12節で言われているように、自分たち自身に厳しい裁きを招くことになります。
15節では、エルサレムに残っている人々が捕囚として連れ去られた人々に向かって、「お前たちは特別に罪深い者だからそういう目に会ったのだ。私たちエルサレムに残された者こそが神様に祝福されているのだ。」という心ない言葉を語ったことが指摘されています。しかし、16節から21節で神様はむしろ神様の民として祝福を受けるのは、捕囚として連れ去られた者たちの方で、彼らは霊的に新しくされ、パレスチナの地にやがて帰らせていただくことができる、と約束されています。自分たちのような者は駄目だ、と思っていた者たちこそが、神様の民として選ばれた者であったのです。私たちもそのように救いに選ばれた者です。絶望しなくてもよいのです。忍耐をもって、神様の時を待ち望み、ただただ神様にお従いしてまいりましょう。

中谷建晴



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