聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「彼らは、わたしが主であることを知ろう。」 (エゼキエル7:27) 今日のエゼキエル書7章では、ユダの国に神様からの徹底的な裁きが間もなく下ろうとしていることが預言されています。 2節から6節にかけて5回、「終わり」という言葉が繰り返され、来たるべき神様の裁きが徹底的なものであることが示唆されています。 また、この「終わり」という言葉の繰り返しは、ユダの人々がそれまでの生き方の総決算をされるということをも示唆していると考えられます。4節と9節では「わたしがあなたの行いに仕返しをし、あなたのうちの忌みきらうべきわざをあらわにするとき」と同じ表現が繰り返され、そのことがはっきりした形で語られています。ちなみに「わたしがあなたの行いに仕返しをし」と訳されている文章を元々のヘブル語そのままに訳すと「あなたのやり方をあなた自身の上に置く」となりますが、正にそういうことが意味されているわけです。 私たちにも、やがて自分のそれまでの生き方が総決算される日が来るのです。それは、いつかそのうちといっている内に、訪れるものであり、物理的にはそうではなくても、実際の所、私たちにとっても差し迫ったものなのです。その総決算の時、神様の裁きの時に、キリストが「あなたは私が命をもって贖った者だから罪なき者だよ」と言って下さり、本来ならば受けなければならない罰を受けずに済むことが約束されていることは、何とも心休まることではないでしょうか。 19節では、裁きの時には財産が何の役にも立たないことが比喩的な表現で語られています。裁きの時には、イエス様のものとされているということ以外のことは何の役にも立たないのです。にもかかわらず、お金や物に捕らわれて、その最も大事なイエス様への信仰を疎かにしてしまっているようなことはないか、もう一度、自らの在り方を顧みさせていただきましょう。 中谷建晴 |