聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「わたしが彼らに対する憤りを全うするとき、彼らは、主であるわたしが熱心に語ったことを知ろう。」 (エゼキエル5:13) 今日のエゼキエル書5章では、エルサレムがバビロンの軍隊によって、包囲され、攻め落とされた結果、そこに住むユダヤ人たちがどのような目に会うかということについて、神様がエゼキエルに託した預言の言葉が記録されています。 1節で神様はエゼキエルに頭の毛とひげを剃ってしまうようにおっしゃっています。これはイスラエルの周りの国々では死んだ人を悼むために行われていたことですが、偶像礼拝と深く結び付いていることから、ユダヤ人の間では身を汚すとされていた振舞いでした。特に祭司であるエゼキエルにとっては、頭の毛とひげをそってしまうと、神様の前に聖い者ではなくなり、祭司として神様に仕えることができなくなってしまうという重大な結果を招くことでした。このことは、偶像礼拝に染まった揚げ句、神様の裁きを受けて、ユダヤ人たちが神様の民として、神様に仕え、神様を証しすることが最早できなくなるということを象徴していることであったと考えられますが、エゼキエルにとっては従い難いお言葉であったと想像できます。しかし、エゼキエルは、祭司という立場も投げ打って、あくまで神様の御言葉に従い通したようです。私たちはどうでしょうか。これだけはゆずれないというものを固く握り締めて、神様のお言葉に従うことを拒んでいるというようなことはないでしょうか。 13節では、ユダヤ人たちは、神様の裁きを経験して、初めて神様のお言葉の真実さを味わい知ることになることが預言されています。これは悲しい形での神様との出会いです。そうではなくて、今神様を信じ、従い、神様と共に歩む祝福と喜びを通して、神様のご真実さを経験する者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |