聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 47章 「この川が入る所では、すべてのものが生きる。」 (エゼキエル書 47:9) エゼキエルが見た幻の神殿から流れ出るきよい水の流れのことが示されます。彼は、神殿の中の祭壇の南、宮の右側の下から流れ出し東の門の右側から流れ出ている水の流れを見せられました。今までの神殿の描写の中ではこの水のことが出てきません。神殿から流れ出るところでは、気をつけて見ないと気がつかないくらいの小さい流れだったのでしょう。しかし、門を出ると、水量はどんどん増えて、3、000キュビトぐらいいくと、泳がないと渡れないほどの大きな川になりました。その流れは東の方のアラバの海、つまり死海に注ぎ込み、塩分が濃くて魚も生きられない死海の水も、その水が流れこむと清くなり、多くの生物が群がるようになりました。魚は増え、流れの両側には果樹が生い茂り、毎月、実をつけました。その葉は薬になりました。しかし、沢や沼は塩水のまま残りました。この水の流れは、イエスさまを信じ、主を礼拝するときに聖霊を受け、聖霊によって、生かされるクリスチャンの生活を示しているようです。信じた人は、静かにいのちをいただき、そのときは周りの人も気づかないほどですが、彼が御霊に従って歩みだすと、いのちがあふれ出て、接する人々を生かし、痛んでいる人たちを癒すようにされていきます。しかし、沢や沼が残るように、信じる者たちの交わりの中にいても変わらずもとのままという人も残ります。私たち自身の信仰と生活の吟味が迫られます。最後の部分はイスラエルの割り当て地ですが、そこではイスラエル人も在留異国人も同じように扱われていることに目が留まります。 唄野隆 |