聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 44章 「この門は閉じたままにしておけ。あけてはならない。・・・イスラエルの神、主がここからはいられたからだ。」 (エゼキエル書 44:2) この章では、「この門は閉じたままにしておけ。あけてはならない。・・・イスラエルの神、主がここからはいられたからだ。」という2節のみことばがまず心に留まります。主は、東の門から神殿の中にお入りになり、主の栄光が神殿に満ち溢れました。そして、東の門は閉じられました。主はそこに留まりつづけられるのです。私たちも、イエスさまを信じ、イエスさまを心のうちにお迎えすると、イエスさまは私たちの内に入り、留まりつづけてくださいます。感謝です。この後、エゼキエルは、主の宮に入る者はきよくなければならないことを語ります。神殿の聖所に入って主に仕えることのできるのは、主をおそれ、主にのみ目を注ぐ者、主以外のものの混入を許さないきよい者なのです。偶像を慕ったり、きよくない者を連れこんだりしたレビ人たちが祭司となることを禁じ、イスラエルが迷ったときも主の宮のつとめを果たしたツアドクの子孫が主に近づき、主に仕えるように指示されるのはそのためです。彼らのつとめは、着るものでも、行動でも、生活でも、自分自身をきよく保ち、民に、聖なるものと俗なるものとを区別し、きよく歩むように教えること、でした。主の民はきよくあることが大切なのです。新約聖書でも、パウロも「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」と言っています(1テサロニケ4:3)。このことを思い、「主よ。私は汚れています。罪を赦し、汚れをきよめ、ただ主だけの生活に変えてください。」と祈りました。 唄野隆 |