聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 43章 「主の栄光が東向きの門を通って宮にはいって来た。霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。」 (エゼキエル書 43:4,5) 幻のうちに、エゼキエルに主の宮の内部まで見せられた主は、主ご自身がその宮に帰られるところを見せられました。いかに立派な神殿でもそこに主がおられなければ意味がありません。先にエルサレムの神殿を立ち去られるところをエゼキエルに見せられた主は(10:18,11:23)、ここで、東の門を通って主が宮に入り神殿が主の栄光に満たされる幻を見せられました。エゼキエルはどんなに感動したことでしょう。彼は、ケバル川のほとりで主の御臨在にふれ(1:1)、主がエルサレムの宮から出られる姿を見、今は主が宮に入られるところに見せられたのです。一度の主との出会いでもその人の人生に決定的な影響を与えるのに、エゼキエルは3度も主との出会いを経験しました。捕囚の苦しみの中にある民に希望を与え彼らを励ましたいと願っておられる主の御思いが心に迫ります。主は、壁一つで主に接しながら主を恐れることのなかったイスラエルをさばかれました(8)。主は聖なる御方です。私たちは、清浄はあっても主に対するおそれのない日本文化の中に育ちました。「主をおそれることを教えてください。」と祈らされます。私たちは罪人で、なれなれしく主に近づくことのできない者です。主を礼拝するにも、まず罪のいけにえをささげてからでなくては、全焼のいけにえも和解のいけにえもささげられません。罪の赦しを得てはじめて、献身、和解、交わりを経験できるのです。罪を告白し、主の贖いを信じることがスタートです。 唄野隆 |