聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                    エゼキエル書 41章

「彼はまた、・・・『これが至聖所だ。』と言った。」
    (エゼキエル書 41:4)

 41章は、エゼキエルの見た幻の神殿の中の本堂の様子を示しています。それはイスラエル最盛期のソロモンの神殿と同じ壮大な造りの本堂でした。捕囚の地で落魄し落ち込んでいる民に、主は広壮な神殿の様子を見せて、彼らを励まし、将来にたいする希望を持たせようとしてくださったのでしょう。本堂は幅20キュビト奥行き40キュビト、その奥に、幅も奥行きも20キュビトの至聖所が見えました。主の宮では、大祭司が民を代表して聖所に入り礼拝をささげますが、その奥に至聖所があって、そこには、人は近づけません。主ご自身がおられるのです。ところが、エルサレムは罪ゆえに滅ぼされ、主は宮を出られました。エゼキエルは、それを幻のうちに見ました(10:18,19,11:23)。神殿の建物がいくら立派でも、そこに主がおられなければ、なんの意味もありません。主の御臨在こそが主の民にとっての最大の拠り所です。主を自分のうちに迎えるまでは、私たちも空虚です。アウグスチヌスは、“人の心の中には空虚な穴があって、神だけがそれを埋められる”と言いました。エゼキエルは、幻の神殿の中に至聖所を示され、続けて主がそこに帰られるところも見せられます(43:4,5)。そのとき、彼はどんなに喜び感謝したことでしょうか。私たちの教会も、会堂が立派かどうかではなく、そこに主が御臨在されるかどうかが問われます。個人としても、パウロのように、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」と告白できるかどうか、が問題なのです。

                            唄野隆



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