聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                    エゼキエル書 36章

「わたしが事を行うのは、・・・わたしの聖なる名のためである。」
    (エゼキエル書 36:22)

 前半はイスラエルの山々に向かって語られた預言のことばです。“イスラエルの山々は周りの国々に掠め奪われ、廃墟となり、その民は捕囚として連れ去られた、それを見て周りの国々は喜び、イスラエルをあざけり、その地を奪った、だがわたしは彼らを辱め、イスラエルをおまえのところに帰らせる、おまえは二度と彼らを失ってはならない”と語られました。“イスラエルは罪ゆえにさばかれるが、主は彼らを回復される、イスラエルをあざけった国々は恥を見る”と言われたのです。そして、エゼキエルに、その主の救いのご計画とその御思いを示されました。“イスラエルが偶像を拝み血を流したので、わたしは、彼らをさばき、諸国の民の間に散らした、しかしそこでも彼等は主の名を汚した、わたしはわたしの名のゆえに彼らを救い、譲りの地に帰らせる”と言われたのです。彼らが自分の間違いに気づいて良い行いをするようになったからとか、誠実に悔い改めたからというのでなく、“このままでは主の名が汚されるから救うのだ”、と言われるのです。人間の側の誠実さが基礎になるなら、その救いの根拠は不確かです。主の御名ゆえなら確かです。私たちの救いも主の一方的な恵みゆえのものです。ですからその救いは確かなのです。その救いは、救われる者をうちから完全に造り変える救いです。救われた者は、新しい心を与えられ、新しい霊を受けて、心の底から主を愛し、主の定めを喜び行うようになり、主を主とする主の民となるのです。そのことを通して、彼だけでなく周りの人も、主を知るようになるのです。

                            唄野隆



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