聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 25章 「わたしがモアブにさばきを下すとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」 (エゼキエル書 25:11) この章から32章までは、エルサレムの滅亡を喜び略奪した周辺の国々にたいする主のさばきの宣告です。まずアモン人とモアブ人に対して。彼らはロトの子孫でイスラエルの親戚です。しかし、ユダが主のさばきを受け、エルサレムが占領され、主の宮が破壊され、民も連れ去られたとき、アモン人は喜び彼らをあざけりました。それに対して、主は、彼らを外国人の手に渡す、とさばきを宣告されました。そして、そのさばきが行われたとき彼らは主を知る、と言われました。主は、無情、無慈悲、あざけりを憎まれるのです。モアブ人に対しても同じでした。“彼等は、セイルつまりエドム と一緒になって、主の民ユダをあざけったから主は彼らをさばかれる、そのとき、彼等は主を知る”と宣告されました。主は正義を行われる審判者で、主の選びを軽んじ苦しむ者を嘲ることを嫌われます。エドムはヤコブの兄エサウの子孫で、ユダとは同族でしたが、先祖エサウがヤコブを妬んで殺そうとしたように(創世記27:41)、子孫のエドムも、イスラエルが主の民とされたことを妬んで、エルサレム滅亡のとき彼らを略奪し復讐をとげようとしたようです。彼らのねたみに対して、主は復讐されるのです。ここでの復讐とは、主の民を傷つける悪をさばき正義を行う、ということです。ペリシテ人に対するさばきも同じです。ひとを尊敬せず、ねたみ、さげすみ、その不幸を喜ぶことを主は憎まれます。私たちは、主にあって互いに尊敬し愛しあう交わりを求めます。 唄野隆 |