聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 24章 「・・・あなたが彼らのしるしとなるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」 (エゼキエル書 24:27) 「第九年の第十の月の十日に」、「この日の日付を書きしるせ。」と主はエゼキエルに命じられました。バビロンのエルサレム包囲が始まった日だったのです。そのことのうちに、主がどんなにエルサレムの滅亡をいたみ悲しんでおられたかがうかがわれます。主は、ユダとエルサレムが罪を重ね、頑なに悔い改めを拒んだので、これを滅ぼすより他なくなったのですが、それでも彼らを愛しておられたのです。この宣告の、鍋はエルサレムのこと、えりぬきの骨とか羊とかは、高貴な人々のことです。エルサレムは、その中の民すべて、高位高官も残さず、骨も煮崩れるまで鍋で煮立てられ、岩の上に流された血が砂で覆われることもないほどの徹底的で残酷なさばきを受ける、と言われたのです。それは彼らをきよめるための精錬なのですが、それでも彼らはきよめられることを拒んだ、と主は悲しさと怒りとをぶちまけられます。そして、エゼキエルの愛する妻が死ぬことを告げ、しかも、彼女のために喪に服することを禁じ、急ぎ出かけるときのように振舞うことを命じられました。あまりの悲しみで死を悼む行事や悲しみの表現など他人に見せる余裕もその気持ちもなくなるほどの厳しい滅びが臨む、と示されたのです。そして、そのことを、エゼキエルの行動を通して人々に示されたのです。主のしもべは、ことばだけでなく生活を通しても、主を証する者です。エゼキエルのようにさばきを示す歩みでも、信じて歩む幸いな歩みでも、その生き様で主を示すのです。 唄野隆 |