聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 23章 「わたしはこの地からみだらな行いをやめさせる。・・・このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。」 (エゼキエル書 23:48,49) オホラとオホリバという二人の姉妹にたとえて、サマリヤとエルサレム、つまりイスラエルとユダの偶像礼拝を責め、彼らの滅びを宣告する預言です。二人は主のものとされましたが、エジプトで過ごした間にエジプトの偶像礼拝に染まり、それが彼女らの性(さが)となり、約束の地カナンに定着しても偶像礼拝は改まらず、それが政治的な行動にも表れ、イスラエルはアッシリヤを慕い、アッシリヤの助けによって国を守ろうとしましたが、アッシリヤはすぐに暴力をふるい、イスラエルを滅ぼしてしまいました。それを見ていたはずのユダもアッシリヤに頼ろうとしましたが、アッシリヤよりバビロンに魅力を感じ、バビロンと結ぼうとしました。しかし、バビロンは、アッシリヤを滅ぼし、ユダを支配すると、ユダへの関心を捨ててしまいました。ユダはエジプトと結ぼうとし、バビロンの怒りを買い、バビロンが支配下の諸国を動員してユダを滅ぼしてしまいました。主を捨て偶像礼拝に走った結果がそうでした。頼りにした昔の恋人たちによって滅びを招いたのです。しかし、ユダはバビロン捕囚を通して偶像礼拝の空しさを知り、主を崇めるように導かれました。主のきよめの御業です。現在の私たちは、人々の人気や、何でもほしいものを手に入れることのできるお金などに魅力を覚え、それを第一にする偶像礼拝に走っていますが、その道は、人々の無視や、借金地獄などの滅びにいたる道です。“悔い改めて主を第一に生きよ”との主のことばが聞こえます。 唄野隆 |