聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 22章 「わたしはおまえを諸国の民の中に散らし、国々に追い散らし、お前の汚れを全く取り除き、諸国の民が見ている前でおまえにゆずりの地を与える。このとき、おまえは、わたしが主であることを知ろう。」 (エゼキエル書 22:15,16) 「次のような主のことばが私にあった。」という書き出しで始まる三つのさばきの預言が語られます。最初の預言では、この流血の町は偶像礼拝で汚れ、親を軽んじ、弱い者を虐待し、血を流し、性関係を乱し、利得を求めるのでさばかれる、と宣告されます。現代社会にそのままあてはまるメッセージだと思いました。そして、“この町に、その「忌みきらうべきわざを残らず知らせ」よ”と言われます。罪を知ることが悔い改めと救いにつながるからです。第二の預言では、イスラエルの家はかなかすになったから火を吹きつけ怒りと憤りを浴びせると言われましたが、それは、そのことを通して彼らが主を知るためだと示されます。金や銀が溶鉱炉で精錬されるようにさばきの苦しみを通してイスラエルをきよめようとしておられる主の愛が心に響いてきます。第三の預言では、預言者や祭司など宗教上の指導者たちが、自分の利得のために宗教を利用し、宗教的特権を振るい、人々を犠牲にして利得を追い求め、むなしい幻を見、まやかしの占いをして民を惑わしているからさばかれると宣告されます。彼らのために「石垣を築き、破れ口を修理する」者を探したが見つからなかった、と語られる主の嘆きが心に迫ってきます。主は民の生活が正されることを望み、まず彼らの信仰が本物になることを願っておられるのです。「主よ。悔い改めて、主に心を向けます。助けてください。」と祈りました。 唄野隆 |