聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 20章 「わたしが、・・・ただ私の名のために、あなたがたをあしらうとき、イスラエルの家よ。あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。」 (エゼキエル書 20:44) エホヤキンの捕囚から7年目、バビロン王ネブカレゼダルがエルサレム攻略にとりかかる1,2年前、エルサレムの滅亡が目前に迫ったときのこと、これからユダはどうなるのかと不安にかられた長老たちが、主に尋ねるために、エゼキエルのところにやってきました。そのとき、主のみことばがエゼキエルに臨みました。“主は、イスラエルを選び、エジプトの地でご自身を彼らに知らせ、彼らをエジプトから連れ出して、乳と蜜の流れる麗しい地に導きいれると誓い、彼らに偶像を捨て、主を主とせよ、と語られた、それなのに、彼らは、主に逆らい、偶像を慕い求めた、それで、主は彼らを滅ぼしてしまおうと考えられたが、主は、彼らを約束の地に導きいれ、主の民とすると約束されていたので、彼らを滅ぼすと主の御名が汚される、だから主は主の御名のために、彼らを打ち、諸国民の間に散らすが、御名のために、彼らを散らした諸国の民の間から連れ出し、約束の地に導く、そこで彼らは主を知り、偶像を捨て、自分の罪を認めて悔い改め、主の民となる、主は、彼らの行いや業によってではなく、主の御名のために彼らをあしらう”と言われたのです。私たちの善行にはどこまでいっても罪の染みが抜けません。二度としませんと悔い改めてもすぐ元に戻るのが人間です。善行や真実さなど私たちの何かに基づく救いは不確かです。しかし、主の御名のための救いは確かです。ただ主の御名のゆえに救うと言ってくださることは何という大きな恵みでしょうか。 唄野隆 |