聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                    エゼキエル書 18章

「自分がこれらすべての忌みきらうべきことをしたのだから、彼は必ず死に、その血の責任は彼自身に帰する。」
     (エゼキエル書 18:13)

 ユダの人々は、滅亡が迫ってくる苦境の中で、「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く」ということわざを繰り返しつぶやき、“先祖たちが罪を犯したのに、自分たちが責任を負わされる、主のなさり方は不公平だ”と不満をぶちまけていました。それに対して、主は、“人が、公義を行い、丘の上で食事をせず、つまり偶像礼拝に加わらず、隣人とのかかわりで不義を行わず、愛をもって接し、主の定めを行うなら、その人は生きる、しかし、その子が、反対のことをするなら、その子は生きられない、必ず死ぬ、しかし、その子が、父の罪を見て、反省し、父のような生き方をすて、主に聞き従うなら、彼は生きる”と語り、人はそれぞれ、自分の生き方に対して責任を負うのであり、誰かのせいにするのは間違いだ、と示されました。ユダの民が真正面から自分たちの罪を認め、悔い改めるためです。そのとき、主は彼らを赦すことができるのです。そのためには、彼らの責任ある応答が必要です。先祖のせいにして、責任を回避する姿勢では、赦すことができません。主は彼らを赦し、生かしたいのです。主は「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。・・・彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」と言われます。私たちも自分の罪に直面することを避け、誰かに、あるいは何かに責任を転嫁しようとしがちです。「私は、今、はっきりと自分の罪を認め、悔い改めて、主の救いに私自身をお委ねします。お救いください。」と祈りました。

                            唄野隆



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