聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 17章 「主であるわたしが語り、わたしが行う。」 (エゼキエル書 17:24) エゼキエルは、なぞのかたちで、ユダの姿を描き出し、その不真実さを責め、主のさばきと救いを語ります。二羽の大鷲はバビロンとエジプトです。エゼキエルのメッセージはこういうことです。“バビロンがレバノンの杉にたとえられたユダからその若枝の先、つまり若いエホヤキン王と捕囚の民をバビロンに連れ去り、残された者を王族の一人ゼデキヤの下に置き、ユダの民は低いがよくはびこったぶどうのように、権威は無くても豊かに生活できるようになった、しかしユダはエジプトに頼り、その力を利用してバビロンに背こうとした、そんな不真実やり方で、独立を得、繁栄を取り戻せるだろうか、主はその不真実をさばき、ユダを根こぎにされる、彼らは枯れる、エジプトに頼りバビロンに反逆したゼデキヤはバビロンに連れ去られ、そこで死ぬ、エジプトはユダの助けにならない。”ユダは、国際関係で不真実をあらわし、信頼を失い、裏切られ、滅びを招いたのですが、それは、神に対する不真実から出てきたものです。神に対する不信が人間関係での不真実を生み、人々の信頼を失わせ、滅びを招くのです。主は、ユダに対し、“彼らをさばいたのは主であり、その主が、バビロン捕囚の苦しみを通して彼らに主を知らせ、彼らを高い山に植える、その木はそこで立派に成長し、空の鳥をも養うことになる、そのとき、すべてのものが、すべて事を成し遂げられるのは主であることを知るようになる。”と言われました。私も祈ります。「主が語り、主が行われるのです。あなたこそ主です。真実なる主の御名を崇めます。」 唄野隆 |